STAGE 3
量子消しゴム
縞の復活実験
🎯 ミッション
経路の手がかりを消すと縞が復活する仕組みを、足し算ルールの逆適用として説明しよう。「全体は常にのっぺりのままで、仕分けたときだけ縞が見える」理由と、これが過去の書き換えにならない理由まで言えれば合格。
未達成

ねこ博士
前回の宿題、「手がかりを消せば縞は戻るか」を実験しよう。ただし、倒れた針を手で立て直すのは「消した」ことにならないよ。立て直す装置の側に、針が倒れていたという記録が移ってしまうだけだからね。手がかりというのは、押しても引いても、どこかに残りやすい。そこで装置を素性のいいものに替えよう。針の代わりに、粒子が左を通ると相棒の目印粒子が「左印」という状態になり、右を通ると「右印」になる仕掛けだ。左印と右印は直交している。つまり働きは前回の検出器と同じ。実際、光子のペアを使うとこういう装置が作れるんだ。
粒子が左を通ると、相棒の目印粒子(紫)が「左印」の状態(青緑の向き)になって飛び去り、右を通ると「右印」(オレンジの向き)になる。左印と右印の開きは90°=直交で、完全に区別できる。つまり働きは、針の倒れる検出器とまったく同じ――スクリーンには縞のない分布が積もる。もつれた光子のペアを使うと、この仕掛けが実際に作れる

うさ美
直交する目印が残る以上、縞は消える。ここまでは前回の理屈そのままです。

ねこ博士
そう。ところで、目印粒子への「質問」は1種類ではないんだ。もつれ光子の旅で、偏光板の角度を変えるといろいろな質問ができたのと同じ発想だよ。まず、質問とは何かをはっきりさせておこう。質問というのは、直交する2本1組の「物差し」を、目印の矢印にあてがう操作なんだ。答えは必ずどちらかの物差しに決まり、その確率は、目印の矢印を物差しに沿って分解した「影」の長さの2乗で決まる――明るさの計算と同じ、いつもの2乗ルールだよ。「左印ですか、右印ですか」という質問は、左印の向きと右印の向きに物差しをあてがうこと。左印の目印はその片方にぴったり沿うから、影は全部そちらに落ちて、答えは100%「左印」になる。そして物差しは、好きな角度に回してあてがってよい。例えば、左印・右印の向きから45°回転させた2本1組の物差しを用意し、その軸を「+」「−」と名づけよう――これが斜めの質問だ。左印の矢印は、+からも−からも同じ45°だけ離れているから、影の長さはぴったり等しく、答えは+と−が半々のランダム。右印の矢印も+と−から45°ずつだから、やはり半々。つまり、答えを聞いても左印か右印かはまったく分からない、というわけだ。
質問=直交する2本1組の「物差し」。答えの確率は、目印の矢印(紫)を物差しに沿って分解した影の長さの2乗で決まる。左:「左印か右印か」の質問では、左印の目印は物差しにぴったり沿うので答えは100%確定。右:斜めの質問(+/−)は物差しを45°回したもの。左印の矢印は+からも−からも45°離れているので影は等しく、答えは半々。目印が右印に切り替わっても(アニメで交互に入れ替わる)、斜めの質問の答えはやはり半々のまま――だから答えを聞いても、どちらの印だったかは分からない

うさ美
左印でも右印でも答えの出方が同じなら、+か−かを聞いたところで、目印がどちらの印だったかはまったく分からない。……つまり斜めの質問の答えは、「どちらを通ったか」の手がかりとして使えない。これが「消す」の正体ですか。消すというより、手がかりを読み出せない形の質問で上書きする。

ねこ博士
その通り。では本番の実験だ。粒子を1個ずつ飛ばしてスクリーンの点を記録し、同時に毎回、目印に斜めの質問をして+か−かをメモしておく。さて、まずスクリーン全体の点の分布はどうなると思うかな。

うさ美
のっぺりのまま、だと思います。もし目印への質問の仕方を変えただけでスクリーンの点の付き方が変わるなら、遠く離れた場所への瞬間通信に使えてしまいます。もつれで通信はできない、ともつれの旅で学びました。

ねこ博士
その通り。全体の分布はのっぺりのまま、1ミリも変わらない。ところが、だ。メモを頼りに点を2つのグループに仕分けしてごらん。+の回の点だけを集めると――縞が現れる。−の回の点だけを集めると――こちらにも縞。ただし明るい帯と暗い帯が互い違いの、逆向きの縞だ。2枚を重ねると、明るい帯が暗い帯をぴったり埋めて、のっぺりに戻る。なぜ仕分けると縞が出るのか――種明かしの鍵をひとつ渡そう。物差しの質問には、答えを返すだけでなく、目印の状態を、答えの向きに書き換えてしまう働きがあるんだ。+と答えた目印は、もう左印でも右印でもない。+の状態そのものになっている。元がどちらの印だったかの痕跡は、目印の中から消えている。ここまで材料がそろえば、きみなら導けるはずだよ。

うさ美
のっぺりの中に、逆向きの縞が2枚、隠れて埋まっていたんですね。その鍵を使って、仕分けで縞が出る理由を導いてみます。答えが+だった回の筋書きを、終わり方まで省略せずに書きます。筋書き1「粒子が左を通り、目印は左印になり、斜めの質問に+と答えて+の状態に書き換わり、粒子は点xに当たる」。筋書き2「粒子が右を通り、目印は右印になり、やはり+と答えて+に書き換わり、点xに当たる」。最後の写真を並べると――どちらも「粒子は点x、目印は+」。途中にあった左印と右印の違いは、書き換えで消えてしまって、もう写真のどこにも写っていません。2枚は完全に一致。合流できる。矢印を足してよい――縞が出る!
+の回だけを集めたときの筋書きの流れ。途中では「左印/右印」と分かれていた目印が、斜めの質問に+と答えた瞬間に+の状態へ書き換わる。その結果、2つの筋書きの最後の写真は「粒子は点x・目印は+」で完全に一致し、合流できる――矢印を足してよいので、+のグループの中には縞が現れる。−と答えた回も同じ理屈で合流するが、計算すると片方の矢印の向きが反転していて、明るい帯と暗い帯が入れ替わった逆縞になる

ねこ博士
その通り。そして−と答えた回も、目印が「−の状態」に書き換わるから、同じ理屈で合流して縞が出るよ。

うさ美
そこで疑問があります。+の縞の明るい帯は、ふつうの縞と同じ理屈なら、道のり差が波長のちょうど整数倍のところのはずです。逆縞と言うからには、−の縞の明るい帯は道のり差が0.5倍、1.5倍、2.5倍……という半端なところに来るのだと思います。どうしてそんなにきれいに、互い違いに分かれるんでしょうか。

ねこ博士
影の符号まで見れば、きみのその予想ごと証明できるよ。筋書きの矢印は、掛け算で作られる。「左を通って目印が+と答える」筋書きの矢印は、左の道のりの矢印 ×(左印が+の物差しに落とす影の分)だ。ここで、影には長さだけでなくどちら側に落ちるかという向きがあったね。+の物差しには、左印の影も右印の影も同じ側に落ちる。だから+グループの合計は「左の矢印+右の矢印」。ところが−の物差しには、左印の影と右印の影が互いに反対側に落ちる。反対側に落ちた影の分を掛けるということは、その矢印を半回転させるということだ。だから−グループの合計は「左の矢印−右の矢印」――片方を半回転させてから足したものになる。

うさ美
それなら結末まで一気に行けます。道のり差が波長の整数倍の点では、左右の矢印は同じ向き。足せば最大――その点は+の縞の明るい帯。引けばゼロ――−の縞の暗い帯。道のり差が半端な点では左右の矢印は正反対。足せばゼロ、引けば最大。つまり+の明るい帯の場所は必ず−の暗い帯で、−の明るい帯は必ず+の暗い帯。きれいに互い違いになるのは偶然ではなく、「足す」と「引く」が正確に裏返しだからなんですね。2枚を合わせれば明るい帯が暗い帯を埋めてのっぺり――全体の分布が変わらないことともつじつまが合います。

ねこ博士
よく導けたね。+と−は直交する物差しのペアとして、「足す」と「引く」をちょうど手分けしている。だから縞と逆縞は2枚で1組、合わせてのっぺりになるのは必然なんだよ。
左の矢印(青緑)と右の矢印(オレンジ)の合成。上の段(+グループ)はそのまま足し、下の段(−グループ)は右の矢印を半回転させてから足す。道のり差が波長の整数倍の点(左列)では、足すと最大=その点は+の縞の明るい帯になり、引くとゼロ=−の縞の暗い帯になる。半端な点(右列)ではその逆。「足す」と「引く」が正確に裏返しなので、+の明るい帯の位置は−の暗い帯の位置とぴったり一致し、2枚合わせるとのっぺりに戻る
矢印の足し算は、波の重ね合わせと同じもの(矢印の向き=波の山が来るタイミング、矢印の長さ=波の振れ幅)。上段(+グループ):左からの波(青緑)と右からの波(オレンジ)をそのまま重ねると、黒い合計の波になる。下段(−グループ):右の波の山と谷をひっくり返してから(=矢印の半回転)重ねる。道のり差が波長の整数倍なら、2つの波は山と山・谷と谷がそろうので、そのまま重ねれば強め合って大きく振れ――その点は+の縞の明るい帯になる。ひっくり返して重ねれば山と谷が出会って打ち消し合い――−の縞の暗い帯になる。半端ならその逆。下のグラフは道のり差を動かしたときの両グループの明るさで、ピークが正確に互い違いになり、合わせると常に一定=のっぺりに戻る(※波の山・谷は振動の話、明るい帯・暗い帯はスクリーン上の縞の場所の話)

うさ美
1つだけ、気持ち悪さが残ります。目印への質問は、粒子がスクリーンに当たったあとに行ってもいいわけですよね。あとから斜めの質問を選んだら縞が見えた――これは過去にさかのぼって縞を作ったことになりませんか?

ねこ博士
ならないんだ。そこがこの実験のいちばん美しいところだよ。スクリーンの点は最初から最後までのっぺりのまま、1点も動いていない。あとから変わるのは「どう仕分けられるか」だけで、仕分けに使うメモは目印に質問して初めて手に入る。過去の書き換えも、光より速い通信も、どこにも起きていない。この実験は実際に光子で行われていてね、偏光を使った量子消しゴム実験の決定版が2000年代に報告されている。結果は、今日きみが導いた計算のとおりだった。

うさ美
確認させてください。それなら実質的には、こういうことになりますか――スクリーンには最初から、ばらばらにまんべんなく散った点があるだけ。あとからメモを見て、+の札と−の札でグループ分けしただけ、という。

ねこ博士
半分は正しくて、半分は足りない。「スクリーンには最初から点があるだけで、あとからメモを見てグループ分けしただけ」――ここは完全に正しい。過去に何も起きていないのも、その通りだ。だが「ばらばらにまんべんなく」のほうが足りないんだ。無関係なコイン投げで点を2組に仕分けても、のっぺりの薄いコピーが2枚できるだけ――これは当たり前だね。その当たり前と比べたとき、+か−で仕分けると縞が出るという事実の異様さが際立つ。+か−かというメモが、点の位置と相関している――+の縞の明るい帯にあたる場所の点には+のメモが付きやすく、暗い帯の場所には−が付きやすいという偏りが、のっぺりの中に最初から仕込まれているんだ。この偏りこそ、きみがもつれの旅で見た相関だよ。あのときは離れた2枚の偏光板の答えどうしの相関だった。今日のは、点の位置と+−のメモとの相関。相手が変わっただけで、同じもつれだね。

うさ美
なるほど……すると今度は、こう考えたくなります。粒子は最初から「+族」と「−族」の2種類で、族ごとに明るい帯の場所が決まっていた。まんべんなく見えたのは2つの族が混ざっていたからだ――という説明です。でも、これは怪しい。質問の仕方を変えれば、同じ粒子たちが「左印の族」と「右印の族」(のっぺりの山2つ)にも仕分けられるはずです。あらゆる質問への答えを書いた札を、あらかじめ全部持っているという説明は……もつれの旅で葬った、あの説明書モデルそのものです。

ねこ博士
よく気づいた、その通りだよ。仕分けの札は、粒子が最初から持っているのではなく、目印に質問したときに初めて決まる。斜めの質問なら+と−(縞と逆縞)に、まっすぐの質問なら左と右(山2つ)に――どの向きで切っても、切り口に応じた模様がきちんと現れる。あらかじめ書き込んだ札では、この全対応は再現できない。それこそが、きみがベルの不等式で証明したことだった。つまりこの実験は「あとから仕分けただけ」でありながら、ただの分類作業ではない。そこが、もつれの深さなんだ。

うさ美
それから、この実験は「検出器が粒子を乱すから縞が消える」という説が成り立たないことの、動かぬ証拠になりますね。量子力学の旅では結論として聞かされ、STAGE1では足し算ルールから導いた話ですが、今日のは実験そのものが突きつけています。もし乱れが原因なら、粒子が飛び終わったあとで目印への質問の仕方を変えても、縞が見えるようになるはずがありません。縞が出るかどうかを決めていたのは乱れではなく、手がかりが読み出せる形で残っているかどうかだった、ということになります。

ねこ博士
それが今日いちばんの収穫だ。もうひとつ、「人間の意識が縞を消す」という説も、同じ理由で成り立たない。今日の実験のどこにも意識の出番はなかったね。目印と質問の仕方という物理の道具立てだけで、縞は消え、そして戻った。そして、大事な補足をひとつ。目印は、遠く離れたもつれの相方でも、わざわざ作った装置でなくても構わない。どの粒子とどの粒子がペアなのか、対応を誰も知らなくてもいい。手がかりが世界に残る限り、縞は消える――今日の理屈のまっすぐな延長だ。次のステージでは、その最強の相手と向き合おう。実験室の外の世界ぜんぶ――環境だ。
上:全部の点をそのまま見ると、のっぺり(縞なし)。下:同じ点を目印の答えで仕分けると、+の回(紫)は縞、−の回(オレンジ)は明るい帯と暗い帯が入れ替わった逆縞。2色を合わせると明るい帯が暗い帯をちょうど埋めて、上の分布に戻る。点は1つも動いていない――変わったのは「見方」だけ。仕分けなしで見えるのは上の分布だけだから、質問の仕方をあとから変えてもスクリーン全体の見た目は変えられず、超光速通信には使えない
【このステージの成果 ― 量子消しゴム】
・直交する目印(左印/右印)が残る → 縞は消える(前ステージの通り)
・目印への斜めの質問:答えは+か−で、左印でも右印でも半々 → 答えは経路の手がかりにならない
・+の回だけ仕分けると、筋書きの終わり方が「+」に合流 → 矢印を足せる → 縞が復活。−の回は逆向きの縞
・全体(+と−の合計)は常にのっぺり → 過去の書き換えなし、超光速通信なし
・仕分けは「あとからのグループ分け」だが、ただの分類ではない:無関係なコインで分けても縞は出ない。ラベルが点の位置と相関していることが本体で、しかもラベルは質問時に初めて決まる(あらゆる質問対応の札=説明書モデルはベルの不等式で否定済み)
・この実験で否定されること:「乱すから消える」説・「意識が消す」説。縞が出るかどうかを決めるのは読み出せる手がかりの有無だけ
確認クイズ
Q1. 消えた縞が「復活」して見えるのは、どんなときだった?
正解! 斜めの質問の答えが+なら、左経由の筋書きも右経由の筋書きも「目印は+」という同じ終わり方に合流する。合流すれば矢印を足せるので、仕分けたグループの中には縞が現れる。目印を捨てるだけでは手がかりが世界から消えないので、縞は戻らない。
Q2. 仕分けをせずに、スクリーン全体の点の分布を見ると?
正解! +の縞と−の逆縞は明るい帯と暗い帯が互い違いなので、合計すると必ずのっぺりに戻る。目印側で何をしようとスクリーン全体の見た目は不変――これが、もつれを使っても通信できないことと、消しゴムが過去を書き換えていないことの、両方を保証している。
Q3. 量子消しゴム実験によって、成り立たないと分かった説はどれ?
正解! 粒子が飛び終わったあとに目印への質問を変えるだけで縞が見えるようになる以上、「飛行中に乱されたかどうか」は縞が出るかどうかとは無関係。また実験のどこにも意識は登場しない。縞が出るかどうかを決めるのは「読み出せる手がかりが世界に残っているか」だけ――これがこの旅の背骨になる。