🌫️ 消える干渉縞
STAGE 4 ― 環境という巨大な検出器 ―
クリア 0 / 7
🗺️ マップ
STAGE 4

環境という巨大な検出器

デコヒーレンス
🎯 ミッション
光子1個・空気分子1個の衝突が経路検出器と同じ働きをすることを理解し、「不完全な手がかり×莫大な回数」の掛け算でデコヒーレンスの速さの桁(空気中の塵粒子で約10⁻³¹秒)を見積もれれば合格。
未達成
ねこ博士
前回予告した最強の相手と、今日は正面から向き合おう。実験装置ではなく、実験室の外の世界――環境だ。舞台を用意する。目に見えないほど小さな塵粒子を、左と右の2か所の重ね合わせにしたとしよう。腕のいい実験家なら本当に作れる状態だよ。そこへ光子が1個だけ飛んできて、塵に当たって跳ね返る。さて、何が起きるかな。
うさ美
光は物に当たった場所によって跳ね返り方が変わります。塵が左にいれば光子は左寄りの跳ね方、右にいれば右寄りの跳ね方。つまり跳ね返った光子は、塵の位置に応じて違う状態になる。……これ、目印粒子の作られ方と同じです。誰も設計していないのに、光子が勝手に目印になって、手がかりを持って飛び去っていく
ねこ博士
その通り。散乱は目印製造機なんだ。筋書きの終わり方が、散乱光子の分だけ分かれる。筋書き1「塵は左、光子は左寄りの状態」、筋書き2「塵は右、光子は右寄りの状態」。光子の2つの状態が直交に近ければ、塵の縞はほぼ消える。ただし、ここで「不完全な検出器」の話が効いてくるよ。光子1個の目印としての性能は、光子の波長で決まる。波長が左右の間隔より長い光子は、ぼやけた目しか持たないんだ。跳ね返り方の違いがごくわずかで、2つの状態はほとんど重なったまま。手がかりは不完全で、縞はほんの少ししか薄まらない。
うさ美
1個だけなら平気そうです。でも、続きがあります。飛んでくるのは1個では済まない、ですよね。
ねこ博士
そこが桁の恐ろしさだよ。空気中では、塵粒子に空気の分子が毎秒およそ10¹⁸回ぶつかる。1回の衝突で縞の濃さがほんのわずか――仮に1%だけ――減るとしよう。10回ぶつかれば約10%減。では10¹⁸回では、どうなると思う?
うさ美
足し算ではなく掛け算です。0.99を繰り返し掛ける。100乗で約0.37倍、1000乗だと0.00004倍程度……。10¹⁸乗なんて、小数点の下に0が何十桁どころではない数になります。実質、完全にゼロ。毎秒どころか、ほんの一瞬のうちに縞は死にます。
ねこ博士
理論計算の答えを教えよう。空気中の小さな塵粒子の場合、縞が消えるまでの時間はおよそ10⁻³¹秒。物理学者のヨースツェーが1985年に見積もった数字だ。宇宙の年齢が約10¹⁷秒だから、どれほど桁外れの速さか分かるね。ここで用語を2つ渡そう。矢印を足せる資格が保たれていることをコヒーレンス、環境へ手がかりが漏れてその資格が壊れていくことをデコヒーレンスと呼ぶんだ。
散乱のたびに、縞の濃さは掛け算で減る
左右の重ね合わせ状態の塵粒子(点線の2つの円)に、環境の光子・空気分子(小さな点)が次々に衝突して散乱し、経路の手がかりを持ち去っていく。1回ごとの目減りはわずかでも掛け算で効くため、下の縞は加速度的に薄まり、のっぺりに落ちる。実際の空気中ではぶつかる回数が桁違いに多く、理論計算では約10⁻³¹秒で完了する
うさ美
デコヒーレンス……「足し算の資格を失うこと」ですね。ただ、環境を検出器と呼ぶのは乱暴な気もします。針のような読みやすい記録を残してくれるわけでもないのに。
ねこ博士
そう、環境は誰も読まない、そして誰にも消せない検出器だ。読みにくさは問題にならない――ルールが問うのは「手がかりが世界に残ったか」だけで、「読みやすいか」ではないからね。消しゴムが効かない理由も同じだ。散乱した光子と空気分子を1個残らずつかまえて、全部に斜めの質問をする――それができない限り、+と−の仕分けは永遠にできない。手がかりは宇宙へ、光速で逃げていく。
うさ美
逆向きの質問をさせてください。電子の二重スリット実験は、現に成功していますよね。デコヒーレンスがそれほど強力なら、なぜ実験室では縞が出せるんでしょう。
ねこ博士
いい質問だ。電子は小さすぎて、環境とほとんど衝突しないからだよ。デコヒーレンスの速さは、物体が大きいほど、環境が濃い(分子や光子が多い)ほど、桁違いに速くなる。だから実験家は真空にして、冷やして、小さい粒子を使う。実際、炭素原子60個でできたサッカーボール型の大きな分子(C60)でも、超高真空なら縞が出せた。そしてその仲間の、炭素原子70個のラグビーボール型の分子(C70)を熱してやると、分子が自分から光を放ち始めて、縞は消えた。放った光が経路の手がかりを運び去ったからだ。2004年にウィーンで行われた実験で、消え方はデコヒーレンス理論の予言どおりだったよ。
うさ美
もうひとつ、前に習ったことの宿題のような疑問が残っています。スリット板は、粒子が通るたびに必ず反動を受けるのでした。反動という手がかりを毎回受け取っているのに、なぜスリット板はデコヒーレンスを起こさないんでしょうか。光子1個の散乱でさえ縞を薄めるのに、つり合いが取れていない気がします。
ねこ博士
いい復習だ。判定基準は、板も光子もまったく同じ――「相手の写真2枚が、どれだけ見分けられるか」だよ。違うのは、答えの桁なんだ。光子や空気分子は軽くて自由に飛んでいる相手で、わずかな蹴りでも飛ぶ方向がはっきり変わるから、写真はそれなりに見分けられる。そのうえ毎秒10¹⁸回もぶつかる。一方、重く固定された板の写真がほぼ重なるのは、ボーアが答えた通り。見積もると縞の目減りは桁違いに小さく、しかも蹴りは粒子1個につき1回きり――掛け算も起きない。つまり板は「デコヒーレンスを起こさない」のではなく、目減りが小さすぎて見えないだけ。差は仕組みではなく、桁なんだよ。
うさ美
縞が出る条件と消える条件、両方が定量的に当たっているんですね。まとめます。「観測装置」も「観測者」も、特別な存在ではありませんでした。手がかりを持ち去るものすべてが観測者で、宇宙は空気と光で満ちている。だから大きな物体は、生まれた瞬間から絶え間なく観測され続けている。日常の世界が縞のない普通の確率の世界に見えるのは、そのせいだったんですね。
ねこ博士
それが「量子の世界と日常の世界の境目」の正体だよ。次のステージでは、この理屈を宇宙でいちばん有名な物体に当てはめる。だ。もつれの旅の最後に残した、あの問いに決着をつけよう。
縞が保てる時間(1目盛=10倍)
ヨース&ツェーらの見積もりによる桁の比較。同じ塵粒子でも、空気中なら10⁻³¹秒、ほぼ何もない宇宙空間で宇宙背景放射(宇宙を満たすかすかな光)だけを浴びる場合なら1秒程度と、環境の濃さで30桁以上変わる。電子のような小さな粒子は環境とほとんど相互作用せず、実験室で縞を観測できる
【このステージの成果 ― デコヒーレンス】 散乱は目印製造機:光子・空気分子が経路の手がかりを持ち去る。波長が左右の間隔より長ければ、手がかりは不完全(ぼやけた目) ・不完全でも回数が莫大:縞の濃さは衝突のたびに掛け算で減る。毎秒10¹⁸回なら実質瞬時にゼロ ・空気中の塵粒子:約10⁻³¹秒で縞が消える(ヨース&ツェー、1985年) コヒーレンス=矢印を足せる資格。デコヒーレンス=環境に手がかりが漏れて資格を失うこと。環境は誰も読まず、誰にも消せない検出器 ・速さは「大きいほど・環境が濃いほど」桁違いに速い。だから電子は縞を出せて、塵は出せない ・スリット板が縞を薄めないのも同じ基準:重く固定された相手は写真がほぼ重なり(目減りは桁違いに小さい)、蹴りも粒子1個につき1回きり。軽くて自由な相手×莫大な回数こそが環境の強さ

確認クイズ

Q1. 光子1個が塵粒子に当たって跳ね返ると、縞が薄くなるのはなぜ?

Q2. 散乱した光子は誰も観測せず、宇宙の彼方へ飛んでいくだけ。それでも縞が消えるのは?

Q3. デコヒーレンスが速くなるのはどんな条件?

← トップへ