STAGE 8
定常状態と時間発展
方程式が世界を動かす
🎯 ミッション
定常状態では |ψ|² が時間変化しないことを自分で確かめ、原子が潰れない理由と、光の色が hν=E₂−E₁ で決まる仕組みを説明できるようになろう。これが最終ステージ。
未達成

ねこ博士
最終ステージだ。前回きみが思い出してくれた定常状態――「針は回るのに、確率の景色は静止する」を、まず自分の手で確かめてもらおう。エネルギー E が決まった状態は ψ(x,t)=φ(x) e−iEt/ℏ だったね。この状態の確率密度 |ψ|² を計算してごらん。複素数の大きさには、便利な性質がある。積の大きさは、大きさの積――|ab|=|a||b| だ(矢印の掛け算は「長さを掛けて、角度を足す」操作だから、長さだけ見ればこうなる)。

うさ美
|ψ|² = |φ(x)|² × |e−iEt/ℏ|²。そして e の肩に i×実数が乗った形は「回る矢印」で、長さは常に1でした(ステージ2の強みその1)。だから |e−iEt/ℏ|²=1 で――
|ψ|² = |φ(x)|²
t が消えました。針は角度をぐるぐる変えているのに、長さの景色はまったく動かない。確率の台帳が、時間について完全に凍結しています。……量子力学の教室で絵として受け取ったあの結論が、たった2行の式で出てしまいました。
|ψ|² = |φ(x)|²
t が消えました。針は角度をぐるぐる変えているのに、長さの景色はまったく動かない。確率の台帳が、時間について完全に凍結しています。……量子力学の教室で絵として受け取ったあの結論が、たった2行の式で出てしまいました。

ねこ博士
それが定常状態――「定まって常なる状態」という名前の中身だ。名前と絵で知っていたものを、方程式の解として自分で出し直したことになるね。そしてこれこそ、原子が潰れない理由の核心なんだよ。歴史を少しだけ。20世紀初頭、原子は「太陽系ミニチュア」――電子が原子核の周りを回る絵で描かれていた。ところがこの絵には致命傷があった。電磁気学によれば、ぐるぐる回る(=加速し続ける)電荷は電波を出してエネルギーを失う。計算すると、電子は1000億分の1秒ほどで原子核に墜落する。この宇宙に安定な原子は存在できないはずだった。……ところが量子力学の答えはこうだ。原子の中の電子は「回って」などいない。定常状態という、観測できる景色が一切動かない波として存在している。動く電荷がなければ電波も出ない。しかも、エネルギーの段は飛び飛びで最下段 E₁ がある。そこより下に落ちる段が存在しないから、墜落のしようがない。きみの部屋の机も、体の原子も、この仕組みで100億年でも安定でいられる。
定常状態(図は箱の n=2)。各地点の針は E/ℏ のペースでそろって回り続けるが、針の長さの分布 |ψ|² は完全に静止している。観測にかかる景色に動きがない=電波も出さない=安定。原子が潰れない理由がこれだ

ねこ博士
ここで、教科書との橋を架けておこう。ステージ6で私たちは、ψ=φe−iEt/ℏ を方程式に入れて時間を割り落とし、「形 φ だけの方程式」を作ったね。V(x) を残して一般に書くと
−(ℏ²/2m) φ″ + V(x)φ = Eφ つまり Ĥφ = Eφ
これを時間に依存しないシュレディンガー方程式と呼ぶ。役割分担はこうだ。本家 iℏ∂ψ/∂t=Ĥψ はどんな波でも動かせる進行係。時間に依存しない方は、「許される形 φ と、はしごの段 E」を探し出す段さがし係。教科書で延々と解かされるのはもっぱら後者だけれど、それは後者が前者の部品――定常状態のカタログ作り――だからなんだ。
−(ℏ²/2m) φ″ + V(x)φ = Eφ つまり Ĥφ = Eφ
これを時間に依存しないシュレディンガー方程式と呼ぶ。役割分担はこうだ。本家 iℏ∂ψ/∂t=Ĥψ はどんな波でも動かせる進行係。時間に依存しない方は、「許される形 φ と、はしごの段 E」を探し出す段さがし係。教科書で延々と解かされるのはもっぱら後者だけれど、それは後者が前者の部品――定常状態のカタログ作り――だからなんだ。

うさ美
整理できました。……でも、そうすると逆に不思議です。定常状態が「一切動かない」なら、世界はなぜ動くんですか? 原子は光を出すし、化学反応も起きます。全部が凍っているわけではないですよね。

ねこ博士
この旅の最後の問いだね。答えは重ね合わせにある。量子力学の教室で、E₁ と E₂ が混ざった状態では |ψ|² の山が動き続ける、という絵を見たね。あの絵の中身を、式で開いてみよう。シュレディンガー方程式は都合のいい性質を持っていてね。ψ₁ と ψ₂ がどちらも解なら、足し合わせた ψ₁+ψ₂ も解になる(方程式に入っている操作――微分も V を掛けるのも――が「和を保つ」からだ)。そこで、段 E₁ の状態と段 E₂ の状態を混ぜた状態を考えてごらん。E₁ の針は E₁/ℏ のペースで、E₂ の針は E₂/ℏ のペースで回る。回るペースが違う。すると2つの波は、合わさったり打ち消し合ったりを繰り返して、|ψ|² がゆさゆさと揺れ始めるんだ。ギターの弦を2本、わずかに違う音程で鳴らすと「わんわん」とうなりが聞こえる、あれと同じ理屈だよ。揺れの振動数を計算すると、位相差が (E₂−E₁)t/ℏ で進むから、ν=(E₂−E₁)/h。

うさ美
ν=(E₂−E₁)/h……これ、見覚えがあります。両辺に h を掛けると hν=E₂−E₁。量子力学の教室で、決まりごととして教わった「電子が段を飛び移るとき、エネルギー差ぶんの光を出す」というボーアの規則そのものじゃないですか。電荷の分布が振動数 ν で揺れるから、振動数 ν の光(電磁波)が出る――アンテナと同じだ。理由が説明されないままだった規則が、方程式から導かれてしまった。

ねこ博士
そう、これが方程式の底力だ。世界の動きの正体は、エネルギーの違う定常状態どうしの、回転ペースのずれなんだよ。そして1926年、シュレディンガーは本丸に攻め込んだ。水素原子――V(x) を原子核の電気的な引力にして方程式を解くと、はしごの段が Eₙ=−13.6 eV/n² と出てくる。段差から hν で計算した光の色は、分光器で測られていた水素のスペクトル線と小数点以下まで一致した。さらに、解の形 φ(軌道、オービタルと呼ばれる)は原子の中の電子の「雲の形」を与えて、元素の周期表がなぜあの並びなのか、化学結合がなぜできるのかまで、この方程式から説明されていく。化学という学問まるごとが、実はこの式の応用問題だったわけだ。
2つの定常状態を混ぜると、回転ペースの差から |ψ|² が振動数 ν=(E₂−E₁)/h で揺れ、その振動数の光が放出される。ボーアが理由抜きで仮定した hν=E₂−E₁ が、方程式から導かれる――水素のスペクトルの完全な説明
シュレディンガー方程式の最終試験(1926年)。① 方程式を水素原子(V=原子核の引力)で解くと、エネルギーのはしご Eₙ=−13.6/n² eV がひとりでに出てくる。電子が上の段から n=2 の段へ飛び降りるとき、段差ぶんのエネルギーが1個の光になって飛び出す(いま導いた hν=E₂−E₁ の仕組み)。② 段差から計算した光の色(線の位置)と、③ 分光器ですでに測られていた水素の線スペクトル。赤(Hα)・青緑(Hβ)・青紫(Hγ)、どの線も位置がぴったり一致した
【旅の全体図】
波の式 ψ=Aei(kx−ωt)(S1–S2)+ 辞書 E=ℏω・p=ℏk(S3)+ 検出器 −iℏ∂/∂x・iℏ∂/∂t(S4)
→ エネルギー保存則に代入: iℏ∂ψ/∂t = −(ℏ²/2m)∂²ψ/∂x² + V(x)ψ (S5)
解くと量子化 Eₙ∝n²(S6) |ψ|²=確率の台帳(S7) 定常状態と hν=E₂−E₁(S8)

うさ美
出発点は「波を数式で書けますか?」でした。そこから sin、回る矢印、2本の辞書、微分の検出器……一つずつ積んだ道具が、最後はエネルギー保存則の上でカチリと噛み合って、原子の安定も、光の色も、化学まで説明する方程式になった。……量子力学の教室で、理由もわからないまま受け取るしかなかったあの式が、いまは自分の手で組んだ機械に見えます。

ねこ博士
それが今回の旅で、いちばん持ち帰ってほしかったものだよ。もちろん、この方程式にも守備範囲はある。電子が光速に近い速さで動くときは、相対性理論と合体させた方程式(ディラックが1928年に作った)が要る。それでも、身の回りの物質世界――原子、分子、光、半導体――のほとんどは、きみが今日組み上げた1行の上に建っている。最後のクイズに答えたら、クリア画面で旅を振り返ろう。よくここまで登り切ったね。
確認クイズ
Q1. 定常状態 ψ=φ(x)e−iEt/ℏ で、時間がたっても変わらないものは?
正解! 針そのもの(ψ の値)は E/ℏ のペースで回り続けるが、|e−iEt/ℏ|=1 なので |ψ|²=|φ|² から時間が消える。観測にかかる景色が凍っている――これが「定常」の意味だ。
Q2. 量子力学で原子が潰れない理由の組み合わせとして正しいのは?
正解! 「回る電荷は電波を出して墜落する」という古典物理の死刑判決は、電子が回っていない(定常状態=景色が静止)ことで回避され、さらに飛び飛びのはしごに最下段があることで「落ちる先」自体が存在しない。二段構えの安定だ。
Q3. 電子が段 E₂ から段 E₁ に移るとき出る光の振動数 ν は?
正解! 2つの定常状態を混ぜると、針の回転ペースの差 (E₂−E₁)/ℏ で |ψ|² が揺れ、その振動数の光が出る。hν=E₂−E₁――ボーアが仮定した規則が方程式から導かれ、水素のスペクトルが完全に説明された。